【教育論】内科勤務医が語る、医者への道筋 No.2

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医者看護師夫婦からの子育てアドバイス
この記事は約8分で読めます。
こんばんわ。
今回のテーマは
「masaがいつから医者になろうと思ったか」

その第二弾を話していこうと思います!

今の中学生や高校生、そして子育て世代の方に向けて。

masaがどのように現在(内科勤務医)まで至ったか。

についてお話ししようと思います。

ただ、以前も話した通り、

「医学生になる」=「医者になる」はほぼイコール

なので、

「医学生になる」までのお話しをしていこうと思います。

将来に悩んでいる学生さんや、
子育て世代の親御さんに参考になれば、
と思います。
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○本題

さて、今日は前回の続き。
masaが今に至るまでの話、Part2を始めましょう。

はじめに言っておくと、今回は幼稚園〜小学校までのmasaの過ごし方の話をしていきますね。

 

まだそんなところかいっ!?

となる方もいると思いますが、おつきあいください。

masaの記憶に親の記憶を追加して話をしていこうと思います。

○幼稚園〜小学校

さて、始めますが。

幼稚園から小学校までは、本当に一般的な幼稚園生ー小学生だったと思います。

と、いうのも前回にお話しした様に。

祖母(もしかしたら母も)からの付属幼稚園への進学を無意識下に拒否し、

 

その地域の普通の幼稚園に進学しました。

20人×3クラス、すこし大きめ(その地域では)の幼稚園でした。
とはいえ、幼稚園のことで覚えていることは特になく

どちらかと言えば外で活発に遊ぶ子供だった

という事くらいでしょうか。

習い事に関しては、

いわゆる学習系の習い事はしていません

塾も公文や個人塾には行っておらず
英語もならったのは中学校が初めて

でした。

ただ一つ習っていたこととしては、水泳ですね。

幼稚園の時に住んでいたアパートの友達が通っていたスイミングスクールに行っていました。

我ながら周りからの影響を強く受けているな、と思います。

とはいえ、水泳の記憶としては

クロール〜バタフライまでの泳ぎ方を習いきって、
水泳の後のアイスが楽しみで通っていた

くらいの記憶しかありませんね。

何が言いたいかと言えば、

masa

水泳命!!

というような熱心な生徒では無かった、という事です。

少し脱線しましたね。

さて、そんなこんなで。

姉も幼稚園・小学校共に受験をしている訳でも無く
勉強面で言えば、小学校6年生まで受験勉強をするわけでもなく

算数が得意で、国語が苦手。

でも親が読書をするのが好きだったから、まねて読書をするのが好きな男の子でした。

読書で言えば、

幼稚園の頃に好きだったのはエルマーの冒険シリーズ
あとは小学校低学年からのハリーポッターシリーズは発売日に熱中して読んで、次の日ずる休みするくらいでした(おいッ)

それを親も「仕方ないなぁ・・・」なんて言いながら許容してくれました。

こういったところからも前回話したみたいにいわゆる教育ママではないですね。
とことん

「子供のやりたいこと・好きなことをやらせる親」

だったみたいですね。

 

さて。

運動の事でいくと、球技も好きで、昼休みには友達とサッカーをして。
小学4年生からはバスケットボール部に入りました。

バスケ部に入ってからはほぼ部活一色。
そのため、

家で宿題以外の勉強はした記憶はありません。

冗談抜きで本当にした事がありません。
頼んでいたチャレンジもZ会も放置され、積み上がっていきました。

そんなmasaの最初のターニングポイントは、小学6年生の夏でした。

 

友達の受験

それは小学生でやっているバスケットの活動が最後の県大会直前、架橋に入った時でした。

幼稚園から同じ学校で、親同士の付き合いもある友達。

その子が(masaからすれば)急にバスケ部を辞めると宣言しました。

何故か。

中学受験をするためです。

元々その子は4年生から塾に通っていて、バスケ部への活動も休むことが多かったです。
途中で塾に行くので、部活を早ぬけすることも普通でした。

その子から出た、「中学受験」というワード。

もちろん今はその言葉は知っていますが

まわりにそんな子が居なかったmasaは衝撃でした。

ただまぁ、

masa

「受験」って響きが格好良いな

くらいでしょうか。

自分には関係無いことかと思っていましたし。

この時はまだ。

親の後押し

丁度masaが友達の受験の話を耳にした時

masaの親にもその子の親から勧めがあったらしいです。

細かい話を言えば、その子以外にも5,6人塾に通っている友達がいて。
何故かうちの親はその子達の親のグループ?に入っていたんですね。

その辺りの理由は詳しくは知りませんが。

それもあって、みんな受験するならmasaもどうか?と話になったみたいです。

そこで。

masaが家でくつろいでいるときに母親からそんな話をされました。

「○○君、付属中学校受験するんだって。

 masaも受けてみる?」

そんな言い方で、やっぱり強要されるわけではなく

提案をされ、最終的な選択権はmasaに委ねられていました。

この当たりも前回話をした、

親は強要せず、子供が興味を持った時に提供

というのに一致しているかなぁ。。と思います。

 

masa

我が親ながら、なかなかやりますね(笑)

さて、そんな提案を受けた小学6年生のmasaと言えば。

「受験」

という格好良い響きのものに挑戦してみたかったこと。

そして

その準備のために通うことを提案された

「塾」

というものに通って見たかったので、

「受験」をしてみることにしました。

 

付け焼き刃の短期集中コース

ただ、そこまで本当に何も準備せずに受験に至ることになりましたが。
このままだと本当に記念受験になってしまいます。

そこで、友達の通う塾の短期コースを受講することにしました。
というか、おそらく親が薦められるままに連れて行った、という様な形です。
友人割引、なんてものもあって、クラスも複数のクラスがあったと思います。

もちろんずっと通っていて頭のいい友達は別のクラス。
masaは初めてでもあるから一般のクラスに割り当てられました。

しかも超短期コースなので1日4コマ×3日間の授業を受けるだけでした。
正直に言ってしまえば、

 

masa

どこまで効果があったかは分かりません。

さて。

当時のmasaの学力ですが。
国語、算数、理科、社会の4科目の受験。

塾への入学前の実力テストの結果は400点満点中240点で平均60点だったのを覚えています(苦笑)。
大学で考えれば合格ラインですが、今思えば小学校のテストで60点ですからね。

 

masa

我ながら、ひどいものですね。

歴史を例に出すと、

「関ヶ原の合戦」

の言葉すらもしらなかったですからね。
仮にも中学校受験に突入しようとしている人間が

むしろ日本史よりも三国志の漫画にどっぷりはまっていたので、
そっちの内容であれば、問題は溶けたかもしれません。

塾の先生も、masaが受かるとはまず間違いなく思っていなかったと思います。

それを象徴するエピソード。

受験が終わったところで、通常通っている生徒や短期コースで受験した生徒も含めて家に受験結果の確認の電話があったのですが。

 

結論から言うと、masaは奇跡的に合格したので、

塾の事務の方が申し訳なさそうに母に電話で結果がどうだったか聞かれたところで

うちの親が

え?あぁ、受かりましたよ

と伝えたら

「えっ!?あっ、おめでとうございます」

と言われたらしいですから。

今思うと失礼な話ですが。

まぁ、いいです。

合格した理由を言うと。

おそらく面接点がめちゃくちゃ高かったんだと思います。

もう既にうろ覚えですが。
試験官(先生)に

 

「合格したら何がしたいですか?」

と聞かれたときに

 

masa

「受験したい、ってわがままを叶えてくれた親に感謝したいです」

って答えた見たいです。

で、その頃のmasaの学力を考えると、そこぐらいしか点数がありそうな所がありません
もちろんテストの結果も悪かったイメージしかないですしね。

ただ、よっぽどの進学校でない場合。

 

試験官の様な大人とある程度普通のコミュニケーションが取れる

と、面接点が稼げて合格を勝ち取れる、というのが今回の学びポイントでしょうか。

そして、結果的にここがmasaが医者になることになった1つのターニングポイントだったと思います。

 

あとがき

ちょっともうしわけないくらい長いですが、今回も中学入学までで終わってしまいました。
申し訳ない。

今回の記事の内容を振り返って、読んでくれた方の学びになりそうな事と言えば、以下の3点になります。

Take home message
・友達に合わせる能力を幼少期から発揮(周囲の環境は大事)
・親は子供に強要せず、環境を提供するのが大事
・小さい頃から本を読むのは重要、かも

次回は中学校〜高校編をスタートしようとおもいます。
ただ、今回と同様、どの程度間隔が空くかは分からないので、気長にお待ちください。

ではまたお会いしましょう。

2021/1/4 masa

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