こんにちわ。
masaです。今日のテーマはあまり面白くない話題です。【いじめ】について。いつの時代も、おそらく人間が人間である以上起きてしまうだろう【いじめ】。いじめといえば学校、というくらいイメージしやすい学校でのいじめから、仕事中のいじめ、そしてネットやSNSに発達に伴って形がいじめの内容や形もどんどん変わってきています。
今日は読者の誰かに向けて、というよりは【いじめ】についてmasa自身の思いを吐き出して、その経験を経て今しんどい思いをしている人に思う事を記事にしようと思います。
「今日話す事」 ・いじめに関して思う事 「見て欲しい人」 ・いじめられた事のある人 ・いじめた事のある人 「結論」 ・複数のコミュニティを作る事が大事 ・いじめをするような奴との関係は絶とう ・一人をいじめると複数人の恨みを買う。その覚悟はありますか?
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そもそも「いじめ」とは何か?
「いじめ」とは、「1自分より弱い者に対して一方的に、2身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、3相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの」とする。
ポイントとしては【学校としてその事実を確認しているもの】の部分ですね。つまり、学校側が「知らないですけど?」と言えば「いじめ」ではなかった、という事です。
今こんなこと言う学校の先生がいたら世間から袋だたきですね。
この調査において、「いじめ」とは、「1自分より弱い者に対して一方的に、2身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、3相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、 起こった場所は学校の内外を問わない。」とする。
なお、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うこと。
そりゃそうよ。。。
本調査において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。 (※) なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
ただそれでもここまで踏まえた上で、masaの気持ちとしては。
「いじめ」って呼び方をそもそも辞めるべきだと思う
子供だろうと大人だろうと、年齢は関係なく、相手の一生に影響を与えるほどの罪を犯したならば、ちゃんと罪に問われるべきではないか、と個人的にはそう思っています。
中学の時のmasaのいじめられた経験
集団心理とは悲しいもので、周りの子達はみんな右にならえでその子を無視するようになりました。masaはその空気に気づかず(うといもので)、普通にその子と話していたものだからそのいじめ?に巻き込まれたという様な形です。まぁ、今思えばそのお猿さん集団と気が合うことはまるで無かったので、友達を取った事に全く後悔はないですし、されることも陰口やシカトといった本当にしょうもない物だったのですが、それでも学校に行くのが億劫になる程度にはしんどかったですね。
masaが立ち直ることが出来た/いじめっこに負けなかった訳
いじめられた時の事を振り返って。
それでも当時の事を思うと、やっぱり辛かったですね。別に迷惑をかけていないのに攻撃される理由が分からないし、思ってもみないことで陰口をはくくらいなら直接言いにくればいいのに、ともやもやしていましたね。
そして、masaは聖人君主様ではないので、【いじめっこ、ざまぁみろ】と思う事がないとは言えません。むしろ思ってます。迷惑をかけられたのが僕だけではないのでその分彼らに被害が加わることを祈ったことがない訳ではありません。ただそこは神様がしっかり見ているとお任せすることにしました。彼らのことを思い出す自分の時間がもったいないですから。
ただ残念ながら、憎まれっ子世にはばかるは本当なのかな、と思っています。医者をしていると「なんでこんな良い人にこんな不幸が襲うのか・・・」と思う事があれば、逆な事もあります。もちろん態度にも出しませんし、診療の方針も変えません(それがプロフェッショナルだと思っていますので)。でも少し、やっぱり【世界は平等じゃないなぁ】と思ってしまいます。これがまぁ世界の真理ですよね。。。
あと、今masa比較的穏やかな性格をしているのは、自分の経験からいじめられた相手の気持ちが分かるからかもしれません。この辺りは心理的な成長の面で影響が出ていると言えるかもしれませんね。ただやっぱり恨みこそすれ、感謝をするつもりはこれっぽっちもないですが。普通に彼らに不幸が襲っていることを切に願っています。頼んだ神様。
娘が生まれてより思う事
思う事は一つだけ。娘が「いじめ」という言葉とまったくふれあうことなく過ごす事が出来る事です。実際そんなことは無理だろう、っていうことは分かっています。古くからある「いじめ」はそんな10年20年では無くなったりすることはあり得ません
そしてまた娘にも、願わくば他者の痛みが分かる娘でいて欲しい。それさえ守ってくれれば何ものぞむものはありません。
いじめられっ子から医者になったものとしてのアドバイス
今いじめられている人へ
今いじめている人へ
というかそもそも海外ではいじめてる側=病気という認識で、カウンセリングを受けさせなければ、という風潮があります。
つまり、いじめられたら、いじめられた子は
先生、さっきあいつにいじめられた。アイツにカウンセリングを受けさせてやって!
先日読んだこちらのマンガにも登場していた話題ですね。
マンガもとっても面白いので見てみて下さい。つまりここで言いたいのは、いじめられっ子が悪いのではなく、いじめっ子が悪い(病気)ということ。いじめた、という過去がある貴方。貴方は病気なのかもしれませんよ。
*後書き
「今日話した事」 ・いじめに関して思う事 「見て欲しい人」 ・いじめられた事のある人 ・いじめた事のある人 「結論」 ・複数のコミュニティを作る事が大事 ・いじめをするような奴との関係は絶とう ・一人をいじめると複数人の恨みを買う。その覚悟はありますか?
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