【元いじめられっ子だった医者が語る】いじめられている君へ【成人期の人格形成にも影響大!?】

スポンサーリンク
医者看護師夫婦のプライベート
この記事は約11分で読めます。

こんにちわ。

masaです。今日のテーマはあまり面白くない話題です。【いじめ】について。いつの時代も、おそらく人間が人間である以上起きてしまうだろう【いじめ】。いじめといえば学校、というくらいイメージしやすい学校でのいじめから、仕事中のいじめ、そしてネットやSNSに発達に伴って形がいじめの内容や形もどんどん変わってきています

何を隠そう、masaも中学の頃にいじめられていた経験があります。今思えばニュースになるほど凄絶なものではありませんが、当時のmasaにとっては心が折れそうになるくらいにはつらかったのを覚えています。幸い心が折れることなく、ストレートに今医師として生きていて、妻・娘に出会うことができて、本当に幸せなのですが、それでも、じゃあ「あのいじめられた経験が今になっていきてます!」なんてことはこれっぽっちもありません。ただ辛かっただけです。だからいじめられて不登校になるのは甘え、などと言うつもりは全くありません。

 

今日は読者の誰かに向けて、というよりは【いじめ】についてmasa自身の思いを吐き出して、その経験を経て今しんどい思いをしている人に思う事を記事にしようと思います。

この記事が、今いじめられている人だけでなく、今いじめをしてしまっている人も自分の行動を見つめ直すきっかけになれば幸いです
では始めに、本日のまとめです。
「今日話す事」
・いじめに関して思う事
「見て欲しい人」
・いじめられた事のある人
・いじめた事のある人
「結論」
・複数のコミュニティを作る事が大事
・いじめをするような奴との関係は絶とう
・一人をいじめると複数人の恨みを買う。その覚悟はありますか?
スポンサーリンク

<今回の記事と関連がありそうな記事一覧>

医学生の私生活について

 

医者の価値観:結婚相手にのぞむこと

 

 

医者が娘に試みようと思っているモンテッソーリ教育について

 

 

では本題にはいって行きましょう。

そもそも「いじめ」とは何か?

いじめの定義についてネットで調べて見ました(出典はこちら)。どうやら時を経て、徐々に変化してきたみたいです。こちらのページには昭和61年、平成6年、平成18年のそれぞれをきっかけとした定義の変化がまとめられています。
まずは昭和61年度〜の定義がこちら。

「いじめ」とは、「1自分より弱い者に対して一方的に、2身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、3相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの」とする。

 

ポイントとしては【学校としてその事実を確認しているもの】の部分ですね。つまり、学校側が「知らないですけど?」と言えば「いじめ」ではなかった、という事です。

今こんなこと言う学校の先生がいたら世間から袋だたきですね。

では次に平成6年度〜の定義がこちら。

この調査において、「いじめ」とは、「1自分より弱い者に対して一方的に、2身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、3相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、 起こった場所は学校の内外を問わない。」とする。
なお、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うこと。

変化した点としては先ほどの「学校が確認してないといじめではない」が削除され、「いじめかどうかの判断は被害生徒の立場に立って行う事」が追加されています。こちらも

そりゃそうよ。。。

という内容ですが、進歩は進歩ですね。
そして最後に平成18年度〜の定義がこちらになります。

本調査において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。 (※) なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

変化した点は「一方的に・継続的に・深刻な」といった文言が削除され、細かい注釈が追加されています。そりゃそうですよね、1回でもいじめられたらいじめですから。
ここまでの文章の中で、おおかた「いじめ」というものが言葉で定義されましたね。

 

ただそれでもここまで踏まえた上で、masaの気持ちとしては。

 

「いじめ」って呼び方をそもそも辞めるべきだと思う

どこか「いじめ」という言葉の雰囲気が柔らかく感じる部分があるのが問題に影響していると思います。これ、している人が大人だったら、ただの【傷害罪】ですからね。相手の体、そして心に理不尽な暴力を与える。これが傷害罪じゃなかったら、どんな行為が傷害罪になるんでしょうか?

 

子供だろうと大人だろうと、年齢は関係なく、相手の一生に影響を与えるほどの罪を犯したならば、ちゃんと罪に問われるべきではないか、と個人的にはそう思っています。

事実心がどんどん成長していく小学校〜中学〜高校の時にする経験はその人の人格形成に大きく作用し、ただでさえ揺れ動く事が多い思春期の子の感情形成の障害にしかなりません。事実、思春期に心の問題を抱えてしまう子の中でいじめられていたという子は多いです。そんな子を見る時はまず一番に学校での交友関係を確認しますからね。いじめの被害は成人期以降になっても強く影響が残っていることがよく知られています。
いじめはただの傷害罪
この記事ではこれだけ持って帰って下さい。
では続いて、masaの経験したいじめの内容、その時の思いなどを記事にしていこうと思います。

中学の時のmasaのいじめられた経験

きっかけは些細なことだったんだと思います。厳密に言えばいじめられた側の立場なので何が相手のポイントに触れたのかは分かりませんが、一番最初にmasaの友達がいじめられだしたのが始まりでした。主犯格はみなさんの中の「ボス猿」をイメージしてもらえば一番わかりやすいかもしれません。そこにつるむ形で4-5人くらいが集団でつるんでいたと思います。
で、いわゆる暴力に訴えがちな「ボス猿」さん達が僕の友達を無視する対象として、クラスで行動し出したんですね。

 

集団心理とは悲しいもので、周りの子達はみんな右にならえでその子を無視するようになりました。masaはその空気に気づかず(うといもので)、普通にその子と話していたものだからそのいじめ?に巻き込まれたという様な形です。まぁ、今思えばそのお猿さん集団と気が合うことはまるで無かったので、友達を取った事に全く後悔はないですし、されることも陰口やシカトといった本当にしょうもない物だったのですが、それでも学校に行くのが億劫になる程度にはしんどかったですね。

masaが立ち直ることが出来た/いじめっこに負けなかった訳

そんなmasaがいじめに負けなかった理由としてはやっぱり一番は友達がいたことでしょうか。むこうももしかしたら同じように思っているかも知れませんが。やっぱり、いじめっこグループではない所に友達が多くいたのが良かったかもしれません。あとは、中学の時は1学年上がる毎にクラス替えがあり、中学の1年間だけで終わった。と、いうのも高校への進学の時に、本当に笑ってしまうくらいいじめっこのグループは別の高校に進みました。言ってしまえば学力に差があった、という形でしょうか。それもあって絶対に受験は失敗できないな、と思っていましたが。
この学力の差、というのも少し影響していますが、相手の事を(学校の成績だけでなく)人間として小さい奴だな・・・と思えるくらいにはメンタル力があったのも大事なポイントかもしれませんね。こんな小さい事でしかもこんなお猿さんのせいで自分の将来が閉ざされてたまるか、という思いも少なからずあったと思います。

いじめられた時の事を振り返って。

それでも当時の事を思うと、やっぱり辛かったですね。別に迷惑をかけていないのに攻撃される理由が分からないし、思ってもみないことで陰口をはくくらいなら直接言いにくればいいのに、ともやもやしていましたね。

そして、masaは聖人君主様ではないので、【いじめっこ、ざまぁみろ】と思う事がないとは言えません。むしろ思ってます。迷惑をかけられたのが僕だけではないのでその分彼らに被害が加わることを祈ったことがない訳ではありません。ただそこは神様がしっかり見ているとお任せすることにしました。彼らのことを思い出す自分の時間がもったいないですから。

ただ残念ながら、憎まれっ子世にはばかるは本当なのかな、と思っています。医者をしていると「なんでこんな良い人にこんな不幸が襲うのか・・・」と思う事があれば、逆な事もあります。もちろん態度にも出しませんし、診療の方針も変えません(それがプロフェッショナルだと思っていますので)。でも少し、やっぱり【世界は平等じゃないなぁ】と思ってしまいます。これがまぁ世界の真理ですよね。。。

あと、今masa比較的穏やかな性格をしているのは、自分の経験からいじめられた相手の気持ちが分かるからかもしれません。この辺りは心理的な成長の面で影響が出ていると言えるかもしれませんね。ただやっぱり恨みこそすれ、感謝をするつもりはこれっぽっちもないですが。普通に彼らに不幸が襲っていることを切に願っています。頼んだ神様。

娘が生まれてより思う事

思う事は一つだけ。娘が「いじめ」という言葉とまったくふれあうことなく過ごす事が出来る事です。実際そんなことは無理だろう、っていうことは分かっています。古くからある「いじめ」はそんな10年20年では無くなったりすることはあり得ません

そしてまた娘にも、願わくば他者の痛みが分かる娘でいて欲しい。それさえ守ってくれれば何ものぞむものはありません。

逆に娘がいじめの対象になっていたら。
全力で戦うつもりです。その時のために、何かあったら親に報告出来る関係性を妻と一緒に娘と築いていこうと思います。

いじめられっ子から医者になったものとしてのアドバイス

今いじめられている人へ

 端的に言ってしまえば、そいつと会うことはあっという間になくなるから大丈夫。masaも中学どころか高校の同級生ですらも仲が良いやつとしか交流はないよ。中学なんて同窓会にも行かないし、目の前でいじめてくる奴はたいしたことを成し遂げる奴じゃない。そんな奴のために君の人生を棒にふるのはもったいない。逃げてもいいんだよ。逃げることは全然悪いことじゃない。頼りにならない同級生や、頼りにならない先生のいる、そんなさも君に不利な状況で戦う必要なんてない。もっと君に有利なHomeはあるはず。それが家なのか、引っ越し先なのか、SNSなのか。それこそ学校も日本だけでも本当に山のようにあるんだから。
 一度だけ勇気を出して、親に話をしてみよう。それだけでもきっと世界が変わるはず。
もう少し具体的にアドバイスすると、交友関係を出来るだけ広く持つ事はとても大事。masaの場合はいじめっ子達は同じ部活のメンバーだったのですが、それとは別のコミュニティを持っていたお陰でそいつらとつるむことが無くてもまるで困ることなく中学生活を送ることができました
残念ながら少なくとも大学生までは親に頼らないと行けない関係で、自分で選べるコミュニティは多くはありません。それでも今はSNSなど、家にいながら広い範囲のコミュニティに手を広げることができます。少しでも息を抜ける先を作っておくことが大事です。

今いじめている人へ

ひとつだけ。君は今の事を直ぐに忘れるかもしれないけど、いじめられた相手は一言一句覚えている。そして、その相手の親ももちろん君を恨み続けるよ。君は相手をいじめて気持ちが大きくなっているかもしれないけど、1人をいじめてたくさんの人の恨みを買っていることになる見えない十字架を抱えて今後の長い人生を生きていく覚悟があるならご自由に。その覚悟が無いなら、直ぐに引き返した方がいいよ。君は、目の前のいじめられている子が我慢してくれているから今笑顔でいれるんだ

というかそもそも海外ではいじめてる側=病気という認識で、カウンセリングを受けさせなければ、という風潮があります。

つまり、いじめられたら、いじめられた子は

先生、さっきあいつにいじめられた。アイツにカウンセリングを受けさせてやって!

というように親や生徒に報告出来る、というわけです。実際その方が自然な姿なのかな、とmasaは思います。

 

先日読んだこちらのマンガにも登場していた話題ですね。

【新品】ミステリと言う勿れ 1 田村由美/著

マンガもとっても面白いので見てみて下さい。つまりここで言いたいのは、いじめられっ子が悪いのではなく、いじめっ子が悪い(病気)ということ。いじめた、という過去がある貴方。貴方は病気なのかもしれませんよ。

*後書き

いかがでしたでしょうか。
最後にもういちど、本日のまとめです。
「今日話した事」
・いじめに関して思う事

「見て欲しい人」
・いじめられた事のある人
・いじめた事のある人

「結論」
・複数のコミュニティを作る事が大事
・いじめをするような奴との関係は絶とう
・一人をいじめると複数人の恨みを買う。その覚悟はありますか?
以上になります。少しでも、いじめに関わっている方の明日からの行動が少しでも変わればこの記事を書いた意味があったかな、と思います。ただ明日以降はもう少し明るい話題をテーマにブログを書いていきたいですね。
ではまた次回の更新で。

コメント

タイトルとURLをコピーしました